BROOKS

Running your own story.

2022/04
Running your own story.

「自分のストーリーを走る」桃澤大祐の挑戦。 箱根から市民ランナーを経て、実業団へ。
episode : Daisuke Momozawa from Sun Bel'x

山梨学院大学で箱根駅伝を走り、卒業後は地元・長野で就職。市民ランナーとして7年間走り続けたあと、2021年からサンベルクスの陸上部に加入し、実業団ランナーへと転身した。そんな桃澤大祐氏に、これまでの歩みと今後の挑戦を聞く。

山梨学院大学にて、箱根駅伝の山下りを3度走破。卒業後は「競技はもう終わりで、あとは仕事を頑張りながら楽しく走れたら」と、市民ランナーの道を選んだ。

「じつはずっと、自分が決めた目標で走ったことがなかったんです。中学で陸上を始めたのも、かならず部活に所属しないといけなかったから。なかでも一番サボれそうに見えた長距離をはじめ、そこから先輩に誘われるがまま、クラブチームや高校、大学と走り続けました。テレビで見る箱根駅伝に興味はあったけれど、強い目標意識は持っていなかったと思います。

でも、大学2年のとき、箱根駅伝の5区・6区を想定したトライアルで、たまたま下りのトップがとれた。箱根を走れるようになったのはすごくうれしかったです。だけど3年では結果が出せなくて本当にきつかったし、大学を卒業するときにはどこかで『やっと終われる』みたいな気持ちもありました」。

就職で戻った地元の長野県は、市民ランナーのレベルが高いことでも知られていた。自由に練習し、休息をとり、好きな大会に出られる走り方も、桃澤氏に合っていたという。「地域からトップ選手へ!みたいなかっこいいことが言えたらよかったけど、あんまり深くは考えていませんでしたね。ただ、自分のペースで走れて楽しかった」と、微笑む。

肩の力が抜けていたのが奏功したのかもしれない。少しずつ桃澤氏のタイムは伸び、自己ベストを連続更新。10000mでは学生時代の記録より、1分以上もタイムを縮めた。

「せっかくベストを更新できたんだから、もう少し頑張ってみようかなと思えたんです。社会人2年目で出たイベント『オトナのタイムトライアル(OTT)』での経験も大きかったですね。はじめてのペーサーで緊張しながら引っ張っていたら、自己ベストを出した方がいて、大喜びしながら握手を求めてくれたんです。学生時代は、走り終わったあとに喜んだりすると『もっと上を目指すんだからこんなところで喜ぶな』みたいな空気もあったりして……つねにタイムを出さなきゃいけないプレッシャーも感じていました。でもOTTを通じて、自分で決めた壁を越えていくのって楽しいことだし、笑って走っていいんだよなって思えた。自分なりに、もっと上を目指してみたくなりました」。

走る楽しさを知り、
旧知のライバルを得て、先へ


大学時代は、自分が走れなくなっても代わりがいた。でも、市民ランナーとして走っているかぎり、代わりはいない。練習するのもレースに出るのも自分しかいないのだ。

「一人でメニューを組み立てて実践していくスタイルは、自分に合っていたと思います。学生時代はなにも考えず、言われる練習をこなすだけだったけど、少しずつ『こういうメニューが好きだったんだ』『じつはがっつり走ってがっつり休みたいタイプなんだな』なんて、自分のこともわかってきました。あと、見られていないと頑張れない人間だから、大会は毎週出るようにしていましたね。陸上関係者にしか友達がいないし、みんなにも会いたくて(笑)。そこから徐々に、レースを使いながら練習を調整するようにしていきました」。

走る姿勢が変わった桃澤氏は、新しい目標を掲げた。井上大仁氏に勝つことだ。彼は山梨学院大学時代の同期で、いまは三菱重工に所属し、2017年の世界陸上ロンドン大会では日本代表も務めた。

「井上とは仲の良いグループが違う感じだったけれど、箱根駅伝ではお互いが5区・6区を走るため、タスキをもらう関係でした。はじめてジョグに誘われたのは、3年の11月。そのとき言われた『一緒に山とろうな』という言葉に、なんだか救われて……素直に頑張ろうと思えたんです」。

2018年の八王子ロングディスタンスでは、お互いに自己ベストを更新。前の組を走った桃澤氏に、井上氏が「お前には負けてられないからな」と声をかけた。

「それが、めちゃくちゃうれしかったんです。学生の頃は一方的に発破をかけてもらうだけだったのに、社会人になって、やっと一人の選手として見てもらえたような気がして……。これまでは他の人に目標を決めてもらってきたけれど、はじめて自分のなかから『井上に勝ちたい』って目標が出てきました。でも、ちょっとやそっと自己ベストを更新しても井上には勝てない。勝つためにどうすればいいかを考えて、出てきたのが実業団に行くという選択肢でした」。

同じ世界を見る競技者と、切磋琢磨しあえる環境


市民ランナーとして走り続けた7年間を糧に、桃澤氏は2021年9月、サンベルクスの実業団へと加入した。

「「こんなに陸上に専念できる環境があるんだ、と思いました。市民ランナーは自由だけれど、そのぶんどうしても競技以外のことに時間をとられます。でも、井上が引退するまでに勝つには、しばらく走ることに集中したい。そんないまの自分にとっては、必要な選択でした。もちろん厳しい世界ではあるけれど、孤独じゃないのがいいですね。切磋琢磨しあえる競技者がいるのは、とても心強いです」。

練習への向き合い方も変わった。市民ランナー時代は一人で背負い込んでしまうこともあったけれど、いまは周りのアドバイスによく耳を傾けている。そのうえで、自身の意見を伝えることも忘れない。

「一般企業の仕事を経験したことで、意見を言うのは悪いことじゃないって学んだんですよね。気になることは正直に言う。言い合って決まったことに、同じ方向を向いて頑張っていけばいい。だから、いまはチームとのコミュニケーションをとても大事にしています。周りと話しながら、いろんな練習を試していくだけでも、すごく楽しいですね。『井上に勝つ=世界で戦う』ということなので、サンベルクスに入社する際は、世界と戦った経験がある人に練習メニューを見てもらいたいという想いがありました。そこで、北京オリンピック日本代表の竹澤さんのアドバイスを取り入れながらやりたいと相談したんです。サンベルクスは、私の想いを理解してくれた。個人を尊重した方法をとってくれるのも、このチームのいいところだなと思います」。

BROOKSとも、サンベルクスに加入してから出会った。ジョグやクロカンのときはハイペリオンテンポ、ゆっくり距離を伸ばしたいときはローンチを選ぶ。「まだすべてのシューズを履けていないから、練習と同様、シューズも少しずつ試していくつもり。どんな感覚を味わえるか楽しみにしています」と、期待をにじませる。

自分のストーリーを描いて前に進む


少し前の自分と同じように、一人で走る市民ランナーにメッセージを贈るとしたら? 桃澤氏は「自分自身のストーリーを描いてほしい」と言う。

「がむしゃらに頑張るのもいいと思うけど、プレッシャーを負いすぎず、自分が楽しく走れるストーリーを描いてほしいと思います。通り過ぎてみないと、どんなストーリーだったのかわからない部分もあるとは思うけど。……僕はずっとタイムが遅いほうだったから、速い選手が走るのを嫌いになって辞めていくのがすごく嫌なんですよ。憧れていた選手たちが、走りたくなくなってしまうなんて悲しい。だから、どんなレベルの選手でも、楽しく走り続けてほしいんです」。

周りに委ね、チャンスを与えられるがままに走ってきた10代。自分らしく走りたいと感じ、多くの経験をした20代を経て、桃澤氏は実業団へと行きついた。ライバルだと心に決めた井上氏とはいま、連絡を取っていない。

「卒業してすぐは、世界陸上で井上が走っているのを楽しく観戦できたんです。でもいまは、あのときと同じ気持ちで『頑張れ』とは言えない。素直に応援しちゃったら、相手を上に見て、勝てない気持ちになる気がして……。でも、いつも意識していますよ。どの種目でも井上のベストを越えられるように、練習を積み重ねていくのみです」。

はじめて己の目標を手にした桃澤氏は、どこまで駆け抜けていくのだろうか。

桃澤大祐 / Daisuke Momozawa
1993年1月19日、長野県出身。サンベルクス陸上部所属。 上伊那農業高校卒業後、山梨学院大学時代、箱根駅伝3年連続6区山下りを走破。その後、サン工業に入社し、市民ランナーとして仕事と陸上を両立しながら、大学時代の5000mおよび10000mの自己ベストを更新した。2021年9月サンベルクス加入。

PB
5000m 13'44"65
10000m 28'09"07
ハーフ 61'50"
マラソン 2:15'23"